PDP-10

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PDP-10は、1960年代終盤からディジタル・イクイップメント・コーポレーション(DEC)が製造したPDPシリーズコンピュータのひとつ。タイムシェアリングシステムを一般に浸透させたマシンであり、多くの大学や研究機関で採用されたことから1970年代ハッカー文化に大きな影響を与えた。PDP-10を導入した主な大学/研究機関としては、MIT人工知能研究所およびProject MACスタンフォード大学人工知能研究所カーネギーメロン大学などがある。

PDP-10のアーキテクチャPDP-6とほぼ同じで、36ビットワードである。命令セットは若干拡張されており、ハードウェアの実装は進歩している。命令セットは未だに卓越しているという見方もあり、特に "byte"命令は任意のビットフィールドを操作することができた(この場合の byte は必ずしも8ビットを意味しない)。

目次

機種と技術的進展

KA10 フリップチップモジュール(9個のトランジスタを実装)、1971年

1968年に登場した最初のPDP-10のプロセッサはKA10である。トランジスタをDECのフリップチップ技術でパッケージし、半自動化された工程によってバックプレーンワイヤラッピングが行われている。1973年KI10が新たに導入された。これはTTL集積回路を使っている。さらに1975年には高性能なKL10(さらに後にはKL20)が導入された。こちらはECLで構成され、マイクロプログラム方式を導入し、キャッシュメモリを搭載している。低価格版のKS101978年に登場し、TTLとAm2901ビットスライスチップで構成され、PDP-11Unibusを使って周辺機器を接続するようになっていた。

KA10の最大メモリ容量は256Kワード(1152Kバイト (情報))である。ページング機構は持たず、2本のプロテクション/リロケーションレジスタ(base and bounds レジスタとも呼ぶ)でメモリ管理を行っている。これによりユーザーのアドレス空間の半分をメインメモリの指定した領域に限定できる。従って、リードオンリーで共有可能なテキストセグメント(high segmentとも呼ばれた)とリード/ライト可能なデータセグメントおよびスタックセグメント(low segmentとも呼ばれた)という後のUNIXでも使われたプロセスモデルが可能であった。MITBBNでは、KA10 に改造を加えて物理メモリ容量を増やし、ページング機構を追加した。

KI10およびその後のプロセッサではページング方式が採用され、最大4Mワードの大容量物理アドレス空間をサポートした。

最初のKL10モデル(1070, 1080など)はオリジナルのPDP-10のメモリバスを使用し、拡張メモリモジュールを追加していた。DECSYSTEM-20(2040, 2050, 2060, 2065)のプロセッサは(「KL20」と(間違って)呼ばれているが)、CPUと同じ筐体内のメモリを使用していた。10xxモデルの構成はこれとは異なり、DECSYSTEM-20の背の低い筐体ではなくオリジナルのPDP-10と同じ背の高い筐体を使用していた。10xx と 20xx のモデル間の差異は見た目の問題が大きく、10xx系であっても20xx系のようなメモリおよびI/Oの構成のものもあったし、20xx系でも10xx系のような構成のものもあった。どちらの系列でもTOPS-10TOPS-20のマイクロコードが実行できたため、どちらのオペレーティングシステムも実行できたのである。

後に 2060プロセッサの Model B 版では仮想アドレス空間の256Kワードという制限を取り払い、最大32個の256Kワードまでの「セクション」を構成可能にして命令セットもそれに応じて変更された。従って、従来の Model A と Model B は全く別のCPUとみなすことができる。Model B の機能を生かした最初のオペレーティングシステムは TOPS-20 release 3 であり、ユーザーモードのアドレッシング拡張はTOPS-20 release 4 でサポートされた。TOPS-20 release 4.1 は Model B プロセッサでのみ動作し、Model A では動作できなかった。

困ったことに、KS10は Model B アーキテクチャを実装するだけの余裕があったにも関わらず Model A アーキテクチャであった。このためにKS10の製品寿命は非常に短かったのである。

最後のアップグレードはMCA25と呼ばれ、2060 から 2065 へのアップグレードであった。これにより複数セクションで動作するプログラムの性能が向上した。

ソフトウェア

当初のPDP-10のオペレーティングシステム(OS)は単に「Monitor」と呼ばれたが、後にTOPS-10と改称され、システム全体も DECsystem-10 と呼ばれるようになった。MonitorとTOPS-10はスタンフォードのWAITSオペレーティングシステムやCompuServeタイムシェアリングシステムの基盤となった。

BBNは独自のOSであるTENEXを開発し、これが様々な研究機関で使われ一種のデファクトスタンダードとなった。DECはTENEXをKL10に移植して大幅に機能強化し、TOPS-20と名づけ、DECSYSTEM-20のOSとした。MITITSと呼ばれる独自OSを開発した。

クローン

1970年代、パロアルト研究所の研究者たちは経営陣がPDP-10購入を許可しなかったため(ゼロックスはSDS社を買収したところで、パロアルト研究所にもそのマシンを使ってほしかったのである)、PDP-10のクローンシステム "MAXC" (SDS社をゼロックスに売った Max Palevsky にちなんだ名称)を自前で設計開発して使用した。OSはTENEXを移植して使用した。

PDP-10のクローンを販売しようというサードパーティ(Foonly、Systems Concetps、XKLなど)もあったが、成功していない。

開発中止と影響

PDP-10と(PDP-11の後継である)VAX製品ラインが競合するようになったことから、DECはより高収益が望めるVAXにソフトウェア開発を集中することに決定した。PDP-10製品ラインの開発中止は1983年に発表され、開発中だったハイエンドプロセッサ(Jupitor)も同時に中止となった。

この出来事はITSやジャーゴンファイルを生んだ文化の終焉を招くきっかけとなったが、1990年代になるとPDP-10をかじったことがあるというのが古いハッカーの勲章のように扱われるようになった。

PDP-10のアセンブリ言語命令であるLDB(load byte)およびDPB(deposite byte)は、プログラミング言語Common Lisp関数として生き残っている。また、PDP-6やPDP-10の36ビットワードは18ビットのLISPポインタを2つ格納することができ、これがLISP言語に影響を与えたと言われている。

Will CrowtherらはPDP-10上に世界初のアドベンチャーゲーム Colossal Cave Adventure を開発した。そのほかにもPDP-10上では、世界初のコンピュータ野球ゲーム(Don Daglow作、1971年)、初期のコンピュータRPG Dungeon (1975年)が作られた。ウォルター・ブライトはPDP-10上で最初のウォー・シミュレーションゲーム Empire を作成した。Roy Trubshaw と Richard Bartle はPDP-10上で世界初のマルチユーザーダンジョンゲームを作成した。さらにパソコンで人気となったテキストアドベンチャー『ゾーク』もオリジナルはPDP-10で作られ、Infocom社は開発用にPDP-10を数台使用していた。

トリビア

ディズニーのSF映画 トロン ではCGIにPDP-10クローンのFoonly F-1が使われている。PDP-10には TRON命令(Test Right-harfword Ones and skip if Not masked)があり、その命令コードは666(八進数)である。関係筋によれば、映画の名前がTRONとなったのも偶然ではない。また、映画の公開に合わせて Intellivisionというゲーム機向けに発売されたTRONゲームは、以前PDP-10を使っていたプログラマが開発したという。ジャーゴンファイルより

参考文献

外部リンク

いずれも英文

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