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Amiga(アミガもしくはアミーガ。スペイン語で「女友達」)とは、1985年にコモドールより発売されたパーソナルコンピュータである。使用されるOSは、AmigaOSとよばれるもの。 当初は、CPUにモトローラのMC68000を採用した16ビットマシンであったが、その後68020・68030・68040を採用した32ビットマシンも発表された。
歴史元々アタリ 2600の開発に関係していたスタッフ(Jay Miner他:後のAtari Lynx、そして3DOのハードウェア設計者)がゲーム機専用ジョイスティック開発を隠れ蓑としたAMIGA社を設立。10数名の本業が歯科医の投資家グループから援助を受けつつ、新型のゲーム機として元々開発したものが初代のAmiga 1000。そのコードネームをLorraineと呼ぶ。しかしながら、どんどん機能が肥大して汎用コンピュータと化したLorraine開発終了後、Lorraine販売の為の資金が底をつく。アメリカはアタリショックの余韻もあり、投資家グループはこれ以上のAMIGA社への資金援助は危険だと判断する事となる。 Lorraine開発陣は元々関係が深かったアタリにLorraine販売を持ちかける。しかしながらアタリは当時、新型16bitコンピュータ、ATARI 520STの発売前であり、この話は実現しなかった。ここに販売を申し出た会社がコモドールだった。パソコンメーカーはアップル Macintoshにはじまり、全て16bitコンピュータへの製品の転換期を迎えていたが、8bitパソコンの雄、コモドールには次世代機が無かった。渡りに船、との事で、ここでAMIGA社の新型コンピュータLorraineはコモドールで販売される事となる。また、コードネームLorraineを廃して、AMIGAと言うブランド名に変更となる。 グラフィック部分においては標準とされたフォーマットであるIFFが後のTIFF(タグ付きIFF)となり、サウンドにおいてはMOD、MED、OctaMED等のフォーマットがAMIGA以外のパーソナルコンピュータでも広く使われた。 主にヨーロッパのハッカーたちがこぞって制作した「MegaDemo」は、カスタムチップの賜物といえる。ちなみに、コモドールの本社はアメリカだったがAMIGAはアメリカよりもヨーロッパで人気があり、ヨーロッパではAMIGA専用のゲームも多数あった。 サードパーティーが発売した拡張スロットを利用するハードウエア「Video Toaster」によるビデオの制御、 およびその3DCGソフトウエアであるLightWave3Dにより映像関連で利用された。これらは、商用にも利用され、日本においてウゴウゴルーガに実際にアミーガで作成されたCGが使用されていた他、アミーガを代表するペイントソフトであるデラックスペイントを使用して作成されたCGを使用した番組が多数存在した。元気が出るテレビの初期オープニング等がその代表例である。 その他ゲーム業界でも少なからず使われ、日本では有限会社ワープのDの食卓の製作にも用いられた。当時は高度なフル3Dの映像をリアルタイムで描写できる家庭用ゲーム機は存在しなかったので、CGムービーと静止画をつなぎ合わせた擬似3Dアドベンチャーとして発売された。 また、キヤノンのゼロワンショップの宣伝に使用されたマックス・ヘッドルームの主人公もアミーガで作成されたCGを用いていた。 1994年のコモドールの倒産により版権が他社に売却され、後継機が製作されるなどしていた。 コモドール倒産前、ヒューレット・パッカード社製のペンティアム互換CPU、AGAチップセットを上回るAAAチップセット搭載、Windows NT駆動のAmiga 6000の制作が発表されるが、結局このマシンは日の目を見る事は無かった。 AMIGAの失敗は(これはMSXやNeXTにも言える事だが)、”一部のユーザーだけを対象としたパソコンは世の中に受け入れられない”と言うことを証明する結果となった。 ハードウェアAMIGAは発売当初より複数の強力なカスタムチップを搭載していた。グラフィック(4096色パレット中16色表示、ないしは32色表示、特殊モードであるHAMでは4096色全部を表示、スプライト機能)のAgnusとDenise、サウンド関連(PCM音源同時発音数4音)の処理を得意としたPaula。この3つのカスタムチップの組み合わせを後にOCS(Original Chip Set)と呼ぶ。そして、これらのカスタムチップはCPUの命令を介さず、独自にメモリにアクセスできる権限を持っていた(ダイレクトメモリアクセスと呼ぶ)。 後にアクセスできるメモリー数を増やしたECS(Enhanced Chip Set)がamiga 500Plus、そしてAmiga3000での標準カスタムチップセットとなった。 なお、実際はAmiga 3000の設計時には後にAmiga 4000、amiga 1200、そしてAmiga CD32に搭載されたカスタムチップセットであるAGA(Advanced Graphics Architecture、またはイギリスではAdvanced Graphics Arrayと呼ぶ)チップセットは完成していたらしいが、コモドールはAmiga 3000に搭載する事をわざわざ見送ったらしい。AGAチップセットの内訳は画像関係はAlice、Lisaと言うカスタムチップが処理し、音声関係は再びPaulaが扱った。これでAmigaは24bitカラー中256色を同時発色、特殊モードであるHAM-8では262,144色を同時発色できるようになっていた。ただし、Amiga 4000ないしamiga 1200発売時点では、既にライバル機であるアップル Macintoshは256色同時表示に移行する時期でもあり、また、廉価なゲーム機であるスーパーファミコンも256色同時表示を実現しており、カスタムチップの性能の差はどうあれ、市場に与えるインパクトは初代Amigaには到底及ばなかった。この慢性的な新技術投入の遅延が後期コモドールの経営戦略上の問題点だと思われる。 AMIGAのグラフィック表示方式は通常のWindowsパソコン、またMacintosh等と大きく違うのが特徴。これら普通のパソコンでの画像処理はビットマップ方式と呼び、画像情報を計算したあとVRAMと言う特殊RAMに転送。このVRAMはメモリ一つ一つがモニターのピクセルと関連付けられていて、画像処理の度に書き換わる。これは高速なスクロール処理には向かない、と言った欠点を持つ。 一方、AMIGAはビットプレーン方式と言う画像処理方法を採用しており、これはファミコンやスーパーファミコン等の3D化以前のゲーム機の画像処理方式と極めて近い。従って、画像のスクロール機能は他社のパソコンより遥かに上回っている。また、多くの画像処理モードをAMIGA単体で持てたのも、このゲーム機に近い画像処理設計の賜物だった。また、AMIGAはVRAMを構造上持っていない。 OSAmiga 1000開発時にブートROMの製作が間に合わず、発売当初はブートROMをKickStartと言う名のフロッピーディスクで提供していた。amiga 500のリリース時にはKickStartROM1.2がROMとして搭載された。 当時のAmiga500はROMがハンダ付けされておらず基板に直接差し込まれていた[要出典]。この為、amiga 500の初出荷の搬送時の衝撃でROMが浮き上がる事例が報告され、当時Amiga500を購入したユーザーは筐体を開けて指でROMを基板に押し込んでいた。 その後AMIGAのOS、WorkBenchがメジャーアップデートを行う際には、システムディスクと合わせてROMも同梱された。ユーザーはOSのアップデートを行う際に、本体に接続されている旧バージョンのROMを取り外し、新しいKickStartROMに差し替える必要があった。ヨーロッパで多数リリースされたMegaDemoが要求するROMのバージョンは1.2であったため、1.2と2.1のROMを2枚接続し必要に応じて切り替えるボードなどAMIGAならではの周辺機器が発売されることとなった。 使用していたオペレーティングシステムWorkBenchはUNIXを模した独自開発のものであったが、フロッピーディスクのみでも完璧なマルチタスクで動作し、アイコンサイズの無制限、2DD 880Kフォーマット、ファイル名に256文字使用可能等、1985年当時としては非常に画期的なパーソナルコンピュータであった。 また、AMIGAユーザーとして有名なアーティストの平沢進がAmiga OS 4.0の起動音を手がけていた。 機種
関連項目外部リンク
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