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ファクシミリ (英語: facsimile) は、画像情報を通信回線を通して遠隔地に伝送する機器、あるいは仕組みのこと。 ラテン語のfac simile(同じものを作れ)←{facere(為す)+simile(同一)}が語源。英語圏では、短縮語である"fax"が広く使われている。日本語では、"fax" を音声転写した「ファックス」あるいは「ファクス」という語が一般的に使用される。大文字のFAXという表記がよく使われるが、"fax"は頭字語ではないため、本来は誤りである。
概要送信側で原稿の二次元情報を線または点に分解し読み取り、データ圧縮や変調等の信号処理をして、通信回線(多くは電話網)に送出し、受信側で信号を復調して原稿を復元する。写真等、中間調の画像を電送するものを写真電送、文字、図面等を電送するものを模写電送と言う。 通常は、電話機と一体になっているものがほとんどである。業務用の複合機などでは、受話器がないものもある(電話は内線電話機で受けるため必要ない)。 主な用途企業や商店で、電話での言い間違い・聞き間違いなどのトラブルを避けるため、注文書・見積書などの急ぎの書類のやり取りに使用される。 また、家庭でも手書き文書などのやり取りがリアルタイムで行える特徴があり、とりわけ道順や地図などの音声だけでは伝えにくい情報の伝達には威力を発揮し、放送局ではテレビやラジオ番組の視聴者からのリクエストなどをFAXで受け付けていることも多い。 聴覚障害者にとっては、手紙に代わる身近な通信手段でもある。 規格
2005年現在では、家庭用・業務用とも、一般の電話回線を利用したG3 FAXがほとんどである。同一メーカー同士の通信の場合には、メーカー独自の手法でデータを圧縮して通信時間の短縮を行っていることが多い。 送信受信手順の概略原稿の読み取り部は、イメージスキャナである。
印刷方式印刷部は、プリンターである。 初期には、放電破壊式が用いられた。表面に黒色の導電層と白色絶縁層の2層を塗布した放電破壊を使用し、走査を行う記録針に高圧を印加して導電層との間で放電させる。これにより表面の絶縁層を除去して内面の黒色を浮きだたせ、文字を印刷する物だった。印字中は放電に伴いオゾン臭がするという欠点があった。 暫くして、感熱紙を使用した感熱方式が登場するが、用紙の保存性が悪い物が殆どであった(一部ではあるが保存性を向上させた感熱紙も存在した)。 この後、ヘリウム・ネオンレーザー管が普及すると、レーザーを用いた印刷方式が登場した。 直接、印画紙やフィルムにレーザーを当てて感光させる物等は階調を必要とする写真電送ファックスとして普及した。 後に半導体レーザー素子が普及すると一気に低価格が進み、レーザープリンタが普及するに至り、レーザー方式の複写機・プリンター・スキャナなどとの複合機が企業などで使用されるようになった。 印刷単価よりも機器の価格の安さが優先される家庭用は、当初は感熱紙タイプが用いられていたが、最近販売されている普通紙タイプのものは、単色の場合は熱転写インクリボン方式、カラー複合機の場合はインクジェット方式が使用されることが多い。 歴史電信、電話など通信の発達と共に画像電送の要望も高まり、19世紀半ばには開発が始められた。ファクシミリが発明されたのは、電話よりも30年ほど早い、1843年のことである。(アレクサンダー・ベインによる)。この時代電気工学の急速な発展に伴い、1920年代には基礎的な技術がほぼ出揃い、実用化の時代に入った。 ドイツのルドルフ・ヘル(Rudolf Hell)は、1929年に文字を小さな点に分解、走査して電気信号に変換し送信、受信は今日で言うドットプリンターの原理で印刷するヘルシュライバー(Hellschreiber)と言う機械を開発、特許を申請した、これは今日のファクシミリの原型とも言える。 ヘルのこの機械は、その後、新聞原稿電送装置、等として発展していく。 ドイツ軍は第二次世界大戦で野戦通信用として、可搬式ヘルシュライバー装置を導入、シーメンス・ハルスケ社が生産を担当したこの機械は Feld-Hell と呼ばれ、有線、無線に対応し、敵軍に探知され難い文字通信方法として、他国には見られない独特なものである。 日本日本では、日本電気の丹羽保次郎とその部下、小林正次の2人が開発したNE式写真電送機が、1928年11月10日に行われた昭和天皇の即位儀式を京都から東京に伝送したのが実用化第1号であった。即位儀式の時、速報を大阪毎日新聞社と朝日新聞社がかって出た。しかし、当時のFAXでは、画像が歪んでしまうため(周波数の違いによる)国は、ゆがんだ画像を文書に載せ、公開することを禁止する法律を制定した。朝日新聞社にドイツのFAXの技術者が、大阪毎日新聞社に当時の日本電気の技術者が就き、両社とも、試験時はまったく成功せず、大阪毎日新聞社が本番のとき、初めて成功した。朝日新聞社は、大阪毎日新聞社が速報を出した数時間後に、やっと成功した。当時の日本電気は、周波数の違い(注)に悩み、送信側が電気信号を送り、その電気信号で、受信側のモーターを動かすという仕組みにした。 東日本と西日本では電源の周波数が異なる(商用電源周波数参照)ため、東日本と西日本でFAXの速さが変わってしまった。現在のFAXは電子制御であるためこのような問題は起きない。 1936年に開催されたベルリンオリンピックではベルリン-東京間に敷設された短波通信回線により電送された写真が新聞紙面を飾り、それまでの飛行機便による速報写真は役目を終えていった。 戦後は、やはり報道や電報、警察における手配写真などの伝送に利用されたが、1970年代後半には業務用ファクスが開発され、1台目の電話機に接続する形で大企業にファクスが入り始める。1981年には旧電電公社により、通信料金の安いファクシミリ通信網(Fネット)が開始される。 その間、現在の主力であるG3ファクスが開発され、また1985年に電話機を始めとする端末設備の接続が自由化されると、中小企業や商店などで急速にファクスが普及し始めるとともに、パーソナルコンピュータなどのFAX内蔵モデムが登場する。 1988年に開催されたソウルオリンピックを目前に高解像度のカラーイメージスキャナーが登場し、同時に日本の主要都市に光ファイバーが敷設され、デジタル通信回線により高解像度の電送された写真が地方新聞社に送られカラー写真が紙面を飾った。 1990年代に入ると、コードレス留守番電話機と結合された形で、一般家庭でも使われるようになった。また、ファクシミリの機能を活用しあらかじめ決められたコード番号を入力することで様々な情報を受信することが可能なFAXサービスの提供が主な企業より行われた。 メーカー2000年代後半に入って、ファクシミリ専用機を販売する企業が減少してきている。複合機のみを販売する企業は、複合機を参照。 その他にオンラインストレージとFAXサーバを組み合わせたアプリケーションサービスプロバイダ(ASPサービス)や、パーソナルコンピュータ用FAXサーバソフトウェアを発売する企業がある。 日本
類似の装置
関連項目
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