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ピトケアン諸島(ピトケアンしょとう、Pitcairn Islands)は南太平洋上に浮かぶイギリスの海外領土。ピトケアン島はじめ全部で5つの島から成り立っている。1767年、イギリス軍艦「スワロー」の士官候補生ロバート・ピトケアンが発見した。 この島の周囲300kmには、他に人の住んでいる島は無い。まさに絶海の孤島と言えよう。この絶海の孤島に人が住み着くようになったのは、映画でも有名な「バウンティ号の反乱」がきっかけである。現在ピトケアン島に住んでいるのは、この反乱に参加した水兵の子孫達である。
地理
ピトケアン諸島の地図. 出典:CIA World Factbook
ピトケアン島はじめ全部で5つの島から成り立っている。諸島といっても一番東のデュシー島から一番西のオエノ島まで500km以上の広がりがあり、その中に5つ島が散在しているだけである。ピトケアン島以外には人は住んでいないので、実質ピトケアン島がこの植民地の全てである。 ピトケアン島は火山性(最高峰が355m)の面積4.50km2の小さな島である。島の周囲は断崖絶壁に取り囲まれており、荒波が島を叩き寄せているため海岸線はほとんど無く、岩がごろごろしている浜がほとんどである。その為、大型の船が島へ接岸するのは難しい。島の北部、海を見渡す丘の方にバウンティ号の反乱のリーダーであるフレッチャー・クリスチャンがいつも居たというクリスチャンケイブと呼ばれる洞窟がある。島の周囲にアダムズ・ロックとヤングス・ロックと言う岩石の小島がある。 歴史詳細はピトケアン諸島の歴史を参照 ピトケアン島には15世紀頃までポリネシア人が住んでいた事が考古学的に明らかになっている。その後スペイン人によって発見されるまでは無人島であった。 バウンティ号の反乱以来、その子孫が住み着いている。1829年にイギリスの領土であると宣言され、正式にイギリスの植民地となっている。 政治イギリスからニュージーランドに派遣されている高等弁務官がピトケアン総督を兼ねる。 住民により島司、立法議会のメンバーが選ばれる。2004年まではスティーブ・クリスチャン島司が島の実質上の行政を行っていた。しかし、後述する少女性的暴行事件の影響で2004年10月30日に解任され、後任にはジェイ・ウォーレンが就任した。 経済空港は無く、船は3か月に1度、ニュージーランドから北米へ向かう貨物船の寄港があるのみである。よって施設の整った病院などに入る場合は、4,000km近く離れたニュージーランドまで船で行かなくてはならない上、急ぎの場合は船をチャーターする必要がある。 島内では住民は水上交通に改造した大型のボートを用い、陸上では四輪バギーや日本製のオートバイに乗っている。 産業は主に、物々交換による経済として、漁業と農作物を中心に行われており、島で芋やバナナやオレンジなどを植えている。ほか、外貨を稼ぐため切手の販売もある。鉱物資源の開発が経済発展を促す可能性がある。現在ではドメインの.pnの販売に力を入れており、島政府のホームページでもセールスをかけている。 住民島民はバウンティ号の反乱者のイギリス人水夫とタヒチ系ポリネシア人女性との間に生まれた子孫である。 宗教はキリスト教で、島民は熱心なプロテスタントのセブンスデー・アドベンチスト教会であるため、島民はアルコール(酒)は飲まないし、タバコは吸わない。食のタブーもあり、豚肉や海老は食べないと言う。これは、反乱者達が島に住み着いてから、島での殺し合いが起きた時、反乱者の最後の生存者であるアダムズが聖書に助けを求めて以来、キリスト教の教えを熱心に現在に至るまで守っているためである。 ピトケアン島の最近の事情詳細はピトケアン諸島少女性的暴行事件を参照 1999年、この島に研修に訪れていたイギリスの女性警察官が、この島の女性から、この島の14歳以下の女性と大部分の成人男性が性交渉をもっている、という事実を告げられた。彼女はこの事実をニュージーランド在住のピトケアン総督に報告し、捜査の結果、この告白が事実である事が判明した。これは本国のイギリスの法律に照らせば当然違法であるわけだが、島の男性はこれは島の風習であり、イギリスの法律で裁くことは適さないと主張している。 またピトケアン島には裁判所がなく、裁判に必要な判事や弁護士もいないので、実際に裁判を行うには、ニュージーランドまで行かなくてはならなかった。「容疑者」はこの島のほぼ全ての成人男性であり、島の経済はその間大きく停滞する事になる。ましてや実刑判決が下れば、島の存続にも関わってくる。一つの島が丸ごと消えてしまいかねない事件として、この出来事はイギリスやニュージーランドだけにとどまらず、世界中で大きく取り上げられることとなった。 結局、ニュージーランドでの裁判の開廷は地元の負担が大きすぎるという事で、2004年にピトケアン島で裁判を開廷する事が決定された。判事や弁護士はニュージーランドからはるばるやって来た。イギリスの海外領土の住民が、イギリス連邦に属するとはいえニュージーランドの判事や弁護士により、英国法によって裁かれるという変わった形である。また、島の男性によるイギリスの法律の適用外だという主張は退けられた。さらに、実刑判決が出た場合に備えて、イギリス本国では刑務所もピトケアン島に設ける事を決定し、この刑務所に勤務する者の募集を始めた。 2004年10月25日、ピトケアン島で裁判が行われ、7人の被告に対して裁判が開かれ、6人が有罪、1人が無罪になった。しかし、判決が出た当時はまだ刑務所が工事中だったため、有罪になった6人とも島の中で自由にしていた。2005年から6人が刑務所に収監されている。 島のインフラ状況皮肉にも、少女性的暴行事件が話題になった2004年以降、イギリス政府は島へ大規模なインフラ整備の投資を始めた。これは再発防止策であったが、小さい島に過剰なインフラ整備が行われている。
関連項目外部リンク・参考資料
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