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トンガ王国(トンガおうこく)、通称トンガは、南太平洋に浮かぶ約170の島群からなる国である。オセアニアのうちポリネシアに属し、サモアの南、フィジーの東に位置する。首都は、ヌクアロファで、最大の島トンガタプ島にある。
国名正式名称は、Pule'anga Fakatu'i 'o Tonga(トンガ語)。 公式の英語表記は、Kingdom of Tonga。通称、Tonga。 日本語の表記は、トンガ王国。通称、トンガ。 漢字では湯加と表記する。 国名は、トンガ語で南の意味。 歴史詳細はトンガの歴史を参照 考古学的な証拠から、トンガへの最初の植民者は、サンタ・クルーズ諸島から船で来たことが分かっている。現在より6000年前頃から、元々東南アジアにいたオーストロネシア語を話す人々の祖先(ラピタ人)がポリネシアへ移住してきたが、トンガへの植民はこの動きの一部である。トンガは、考古学的な年代推定から、現在よりも2800-2750年前の独特のラピタ式土器が出土しているため、ポリネシアで一番古い遺跡として認められている。ラピタ人たちは、1000年に渡り、現在はトンガ、サモア、フィジーとして知られている島々で生活し、航海し、戦争を行い、異なった種族間の結婚を行っていた。その後、より多くの探検者たちが東へ出発してマルケサス諸島やタヒチ、最終的には太平洋の残りの島々を発見した。このことにより、人類学者たちは、トンガ、サモアとフィジーをポリネシアの文化と文明の発祥地と評する。 12世紀までに、トンガ人とトンガの大酋長、すなわちTu'i Tongaはニウエ島からチコピア島まで、太平洋中に知れ渡っていた。このことから、ただちにトンガ帝国と言及する歴史学者もいる。もっとよい言い方としては、相互にやりとりを行う、航海者、首長、冒険者のネットワークというのが妥当であろう。15世紀と17世紀には、内戦が勃発した。オランダ人の探検家のWillem SchoutenとJacob Le Maireが1616年にヨーロッパ人として初めてトンガに到着したのは、このような時期であった。他のヨーロッパ人の来航としては、もっとも重要なジェームズ・クックの1773年、1774年、1777年の到着、また最初のロンドンの使節の1797年の到着、メソジスト派のWalter Lawreyの1822年の到着が挙げられる。ジェームズ・クックの来航は、トンガが大英帝国の一地域として組み入れられる過程への決定的な第一歩となった。 トンガは、若き戦士、戦略家、雄弁家のタウファアハウ(Taufa'ahau)により、ポリネシア人の王国として1845年に統一された。彼は、首長の称号のTu'i Kanokupoluを持つが、ジョージ王(King George)の名前で洗礼を受けた。1875年に、使節のシャーリー・ベーカー(Shirley Baker)の助けで、彼はトンガを立憲君主国として宣言した。その時には、彼は奴隷を解放し、また法典、土地保有、出版の自由を大事なものとして扱い、そして首長の権力を制限した。1900年にトンガは、友好条約の下でイギリスの保護領となった。その時、ヨーロッパ人の植民者とライバルのトンガの首長は2番目の王を追放しようとしていた。友好条約と保護領の地位は、3番目の君主のサローテ女王 (Queen Salote)が亡くなる前に結ばれた条約の下で、1970年に終わりを迎えた。トンガは、1970年にイギリス連邦に参加し、1999年には国連に参加した。植民地化の力にさらされたにも関わらず、トンガは決して現地人による統治を失うことが無かった。このことは、太平洋の国では珍しいことであり、彼らに多くのプライドを与えている。同時に君主制に対しても信頼を与えることになっている。
政治元首は国王。立憲君主制で一院制の議会(議員は議長及び閣僚(国王が任命、現在10名)、ハアパイ諸島・ババウ諸島両知事、貴族議員9名、平民議員9名により構成)があるが、国王に多くの権限がある。 国民は王族、貴族、平民の三つの身分に分けられている。身分の変更は基本的に認められない。1980年にオナライバハママオ王子が平民の娘と結婚したために王族の称号を剥奪され平民になったぐらいしか公式な記録がない。身分制度が存在するが全ての法律は全ての身分に平等に適用されることが憲法に明記されている。憲法が制定されたのは1875年で、日本の大日本帝国憲法よりも早い。現在の憲法もこの当時の改訂憲法である。 国王の一覧
2005年8月以来、王政への批判が高まった。集会やデモ、ストライキが頻発し、2006年2月には、首相が辞任した。 地方行政区分詳細はトンガの行政区画を参照 トンガの地方行政区分は、北からヴァヴァウ、ハアパイ、トンガタプの3つに分かれる。 地理トンガは4つの群島、172の島からなり、うち45島が有人である。島々は南北600 km、東西200 kmの幅に広がる。東西の幅が狭いのは、すぐ東にトンガ海溝が南北に伸びているためである。トンガ海溝はインドプレートに南太平洋プレートが東側からもぐりこむために形成されている。このため、トンガは基本的には火山群島である。西側の島の方が新しく、東側の島は火山島が沈下したことによるサンゴ礁から形成されている。 また、標準時としてUTC+13(日本時間より4時間早い)を採用しているため、日付変更線をはさんで東隣にあるサモアなどとは同じ時刻を示すものの、トンガの日付は1日早くなる。世界で最も早い時間帯を採用しているのはトンガではなく、キリバスのライン諸島(UTC+14)である。 気候トンガ全域がケッペンの気候区分でいう熱帯雨林気候 (Af) に属する。気候は海洋性であり、気温の年較差よりも日較差の方が大きい。5月から11月にかけては南東貿易風の影響下にあるため、涼しくなる。首都ヌクアロファ(南緯21度9分、東経175度14分)の1月の平均気温は25.8度、7月は21.3度、年間降水量は1643 mmである。気温は島によってあまり変化がないが、降水量はヴァヴァウ島の2790 mmまで幅がある。 主な島
経済
トンガの通貨パ・アンガ(Pa'anga)
トンガの産業は農業、漁業と観光、出稼ぎ送金に頼っている。主要作物はコプラとバナナ。国内市場が狭く、貿易に適さない位置にあるため、経済が発達せず、慢性的な失業に悩む。輸出額700万ドルに対し、輸入額は7300万ドルにも達し、貿易赤字も大きい(以下、2001年時点)。 主な輸出品目はかぼちゃ、魚介類、根菜植物。主な輸入品目は食料品、石油製品、金属製品である。日本に対しては大幅な貿易黒字 (2003年時点で年間900万ドル)となっている。輸出品はかぼちゃ (93%)、香辛料、マグロ、輸入品は、トラック、乗用車、内燃機関である。 軍事
2006年11月の暴動で6人が戦死 兵力不足で治安が維持できなくなり、ニュージーランド軍とオーストラリア軍に派兵を依頼し、暴動を鎮圧した。 両国軍は2006年の年末には帰国した。 国民住民は、ポリネシア人が98%であり、また少数のミクロネシア人もいる。 言語は、トンガ語と英語が公用語である。日常生活ではトンガ語が使われるが、英語も広く通用する。 宗教は、キリスト教がほとんどである。 文化トンガは、ラグビーユニオンが盛んなことで有名。 また、日本の角界にも、トンガ出身の力士(南乃島など)がいる。 トンガの人々は全体的に大柄で、トゥポウ4世は、1976年のギネスブックで、「世界で最も大きな国王(209.5 kg)」として登録されていた。トンガの女性の平均身長は170cmで、婦人靴の最小サイズは26cm。男性の平均身長は177cmで、足のサイズが30cm以上ある人も少なくない。
関連項目
外部リンク
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