エレクトリック・ライト・オーケストラ

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エレクトリック・ライト・オーケストラ
基本情報
出身地 イングランドバーミンガム
ジャンル ロック
プログレッシブ・ロック
アリーナ・ロック
ポップ・ロック
エレクトロニカ
活動期間 1970年 - 1986年
2000年 - 現在
レーベル

ハーヴェスト・レコード
ワーナー・ブラザーズ
ユナイテッド・アーティスツ・レコード
ジェット・レコード
コロムビア・レコード
エピック・レコード

レガシー・レコーディングス & Sony BMG
共同作業者 ザ・ムーブ
ザ・アイドォー・レース
ウィザード
Violinski
ELO Part II
公式サイト http://www.elomusic.com
メンバー
ジェフ・リン
ロイ・ウッド
Bev Bevan
ビル・ハント
Steve Woolam
リチャード・タンディー
マイク・デ・アルバカーキ
ウィルフレッド・ギブソン
Mik Kaminski
コリン・ウォーカー
マイク・エドワーズ
ヒュー・マクダウェル
ルイス・クラーク
Kelly Groucutt
Melvyn Gale
デイブ・モーガン
マーク・マン
  

エレクトリック・ライト・オーケストラ (Electric Light Orchestra) は、イギリスバーミンガム出身のロックバンドザ・ムーブからの発展という形で1970年に活動を開始、1971年にレコードデビュー。1970年代から1980年代にかけて世界的な人気を博した。1970年代のアメリカで最も多くの(ビルボード40位以内の)ヒット曲を持つバンドであり[1]、「ビートルズよりもビートルズらしい曲を持ったバンド」とも言われた。略称ELO(イー・エル・オー)。「ロックとクラシックの融合」を目ざし、全盛期には「世界、最小で最高のオーケストラ」と言う称号を得た。


目次

メンバー

レコードデビュー時(1971年)

  • Roy Wood (Guitar/Vocals/Bass/Cello/Bassoon/Oboe/Clarinet/etc...)
  • Jeff Lynne (Guitar/Vocals/Bass/Piano/Keyboards)
  • Bev Bevan (Drums/Percussion/Vocals)
  • Bill Hunt (Horn)
  • Steve Woolam (Violin)


全盛期(1975年〜1979年)

  • Jeff Lynne (Guitar/Vocals/Piano/Keyboards)
  • Bev Bevan (Drums/Percussion/Backing Vocals)
  • Richard Tandy (Piano/Keyboards/Guitar)
  • Kelly Groucutt (Bass/Vocals)
  • Mik Kaminski (Violin)
  • Hugh McDowell (Cello)
  • Melvyn Gale (Cello)


活動停止時(1986年)

  • Jeff Lynne (Guitar/Vocals/Piano/Keyboards)
  • Bev Bevan (Drums/Percussion)
  • Richard Tandy (Piano/Keyboards)

バンドの概要及び略歴

サウンドとバンド編成の変遷

レコードデビュー後しばらくの間、ロックバンドにストリングス楽器担当(チェロ2名、バイオリン1名)がメンバーとして在籍するユニークな編成で、クラシックの弦楽三重奏の要素を取り入れた独特のサウンドが特徴だった。

1974年発表の『エルドラド』でストリングス・アレンジにLouis Clarkを迎えて以降、レコーディングではロックバンドとフル編成のオーケストラ・サウンドを融合させた楽曲アレンジを構成するように変化し、バンド内のストリングスメンバーのサウンド面への貢献は減少した[2]

その後、1970年代後半から80年代にかけて、従来のオーケストラ・サウンドに加えてシンセサイザーを多用した楽曲アレンジをするようになり、よりポップな方向へサウンドを変化させていった[3]。1979年発表の『ディスカバリー』を機に、ストリングス・メンバーを解雇(ライブのための「サポートメンバー」に降格)し、ギター、ベース、ドラム、キーボードの4人編成となった。

生い立ち

デビュー当初は、ロイ・ウッド(元ザ・ムーブ)とジェフ・リン(元ザ・ムーブ、The Idle Race)の二人が中心の双頭体制であった。その後、2ndアルバム録音中にロイが脱退。1972年の『ELO II』、1973年の『第三世界の曙(On The Third day)』と、ポップでありながらプログレッシブ・ロックに通じる実験的な試行錯誤の時期を経て、1970年代中盤からはビートルズ・ライクなポップスの要素を強め、70年代を代表するヒットメーカーへと変貌する。

全盛期

1974年の『Eldorado』が初の全米ゴールドディスクを獲得すると一気にブレイクし、1975年の『Face The Music』、プラチナディスクに輝く1976年の『オーロラの救世主(A New World Record)』と順調にヒットチャートの常連へと成長。その後、二枚組大作『アウト・オブ・ザ・ブルー』(1977年)、当時大流行したDisco BeatをELO流に解釈したPOP Rockの傑作『ディスカバリー』(1979年)を産み出し、作品の質的にも、レコードの売上げ的にも、ライブの動員規模的にもキャリアのピークを迎える。

1977年から78年に駆けて行われたワールドツアー(Out Of The Blueツアー)では、ステージ上にレーザービームが飛び交う巨大UFOを出現させ、メンバーがその中で演奏するという大がかりな演出で話題をさらった。このツアーは、当時から「UFOツアー」としてファンの間では伝説となっており、1978年のWembley Arenaのライブを収録したDVDも発売されている。なお、最初で最後の日本公演もこのツアーで実現した。

1980年代にはいっても、映画『Xanadu』のサウンドトラック(1980年)の片面を担当し、担当した6曲(Olivia Newton-Johnの「Xanadu」含む)中3曲を全米Billboard TOP20に送り込むなど変わらぬヒットメーカーぶりを発揮していた。

衰退期

ELOは、ロイ・ウッドが脱退した『ELO II』以降、中心メンバーであるジェフ・リンがほとんど全曲を一人で書き、プロデュースしてレコードを制作していた。1981年の『Time』以降は、それを更に一歩進め、バンドとしてのレコーディングが完了した後、ジェフが一人残ってオーバーダビングを続けてアルバムを完成させるというレコーディング・スタイルに変化し、ELOは、ジェフのソロ・プロジェクト的な色合いが強まっていった。 また、この頃からマネージメント(Don Arden)とバンドの関係がぎくしゃくし始め、1981年の全米ツアー(Timeツアー)は、思うようにライブスケジュールを組むことができず中途半端な規模で半ば中止されるような形で終わってしまい、1982年の『Secret Messages』発表時にはライブツアーの予定すら組まれなかった。

1980年代中盤頃、バンドとレコード会社の間の契約問題で活動が停滞し、更にメンバーのKelly Groucutt[4]がリーダーのジェフ・リンとマネージメントを訴えるという事件[5]が発生。すっかりELOとしての活動に嫌気が差したジェフ・リンは、1986年の『Balance Of Power』の発表と幾つかのギグへの参加を最後に、ELOの活動を放棄してしまう。

Part.2活動期

1988年、ELOオリジナルメンバーであるベヴ・ベヴァンを中心としてElectric Light Orchestra Part.2が結成された。単にELOを名乗っていた結成時にはジム・スタインマンプロデュースでジョン・ペインをヴォーカルに据えたアルバムをニューヨークで製作していたが、名称使用権の問題やスタインマンとの対立で結局アルバムはリリースされず、ジョン・ペインは帰英してエイジアに加入する。プロデューサーが交代して最終的に1stアルバムがリリースされたのは1991年のことである。Part.2では、全盛期のメンバーであるバイオリンのミック・カミンスキーが復帰し、2ndアルバムからはオーケストラ・アレンジのルイス・クラークも正式メンバーとして参加するなど、オーケストラ・サウンドとロックバンドを合わせた1970年代のELOサウンドの再現を目ざした。しかし、ELOの作品を通じてレコード会社から「世界最高のメロディメイカー」というキャッチフレーズを与えられていたジェフ・リンの不在は如何ともしがたく、アルバム、シングル共に新作が全米、全英でチャートインを記録することはなかった。ライブでは往年のヒット曲を演奏し、オーストラリアやロシアで生オーケストラと共演したライブアルバムを発表している。

なお、2000年にベヴ・ベヴァンが引退した後もメンバーの残党(ELOの元ベースプレイヤー・Kelly Groucuttや、バイオリンのMik Kaminskiを含む)は、「The Orchestra」の名前で活動を継続し、相変わらず往年のELOのヒット曲を演奏している。

「Electric Light Orchestra(ELO)」というバンド名は、ジェフ・リンとベヴ・ベヴァンに使用権があるため、ベヴ・ベヴァン抜きの「元Electric Light Orchestra Part.2」は、元メンバーが数名在籍するにもかかわらず「ELO」の名称が使えず、その一方で、2001年に元メンバーはジェフ・リンだけという新バンドが「Electric Light Orchestra」名義でニューアルバムを発売している。Part.2結成の際にも、ELOの名称を使いたいベブと、それに難色を示すジェフの間で相談が持たれ、結局「Part.2」を「ELO」の名称に追加することで決着した経緯がある。2001年にJeff LynneがELO名義でニューアルバムを発表した際には、既にBev Bevanが引退していたため特に問題は起こらなかった。

その後

  • ベヴ・ベヴァンは、一旦引退したものの2004年に「BEV BEVAN BAND」「Bev Bevan's The Move[7]」のリーダーとして音楽シーンに復帰した。ベヴの新バンドは、The Orchestraのメンバーを除いた、ELO Part.2の中核メンバーで構成されている。ベヴは、「このバンドは、ELOの曲もPart.2の曲も演奏しない」と宣言しており、その言葉通り、The Moveの曲を演奏することはあってもELOの曲は演奏していない。
  • リチャード・タンディは、後期ELOのサポートメンバーだったDave Morganと80年代半ばに「The Tandy Morgan Band」を結成するなど独自の活動を展開する一方で、ジェフ・リンのソロプロジェクトやプロデュース作品にも参加している。他にも、The Move/ELO人脈での仕事をこなしており、Trevor Burton Bandの1998年のアルバム『Blue Moons』と欧州ツアーに参加したりしている。
  • ケリー・グロウカット、ミック・カミンスキー、ルイス・クラークの3人は、ELO Part.2のメンバーだったEric Troyer、Parthenon Huxley、Gordon Townsendと共に結成したThe Orchestraとしての活動を中心に、それぞれソロでも活動している。
  • ヒュー・マクドウェル(Hugh McDowell)は、「Wetton/Downes」の2005年のアルバム『アイコン』に参加するなど、現在もRock界隈での活動を続けている。

豆知識

  • 日本のミュージシャンにも影響を与え、奥田民生のELO好きは有名である。パフィーは後にELOの代表曲である「Don't Bring Me Down」をカバーした。また、奥田民生とパフィーは、アルバム『ズーム』の国内盤に推薦文を寄せている。

代表曲

10538 Overture(10538序曲)
1971年発売。デビューアルバム収録。ELOのデビュー曲。全英チャート最高位9位(1972年8月)。「10538」とは、発売当時のデビューアルバムのレコード番号である。デフ・レパードの2006年発売のカバーアルバム『Yeah!』に彼らの手によるカバーバージョンが収録された。
Roll Over Beethoven(ロール・オーヴァ・ベートーヴェン)
1973年発売。「ELO II」収録。ELOの名を広く知らしめたヒット曲。チャック・ベリーのヒット曲のカバー(ビートルズ等多くのバンドがこの曲をカバーしている)。大胆にもベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調作品67をそのままイントロとして流用したり、間奏に弦楽三重奏の多重録音を多用したアレンジを施すなど、初期ELOが目指した方向性が感じられる。1973年、Billboard POP Single最高位43位。
Showdown(ショウダウン)
1973年発売。『On The Third Day/第三世界の曙』収録。チェロやバイオリンのサウンドを大きくフィーチャーしたサザンロック調の佳曲。(Billboard POP Single、1974年、最高位53位)。
Can't Get It Out Of My Head(見果てぬ想い)
1974年発売。『Eldorado』収録。ELO初の全米TOP40ヒットにしてTOP10入りした大ヒット曲(Billboard POP Single、1975年1月、最高位9位)。2007年にはヴェルヴェット・リヴォルヴァーがアルバム『リベルタド』の中でカバーしている。
Strange Magic(ストレンジ・マジック)
1976年発売。『Face The Music』収録。中期ELOらしいフルオーケストラによるストリングス・アレンジを前面に押し出した甘く切ないPOPソング。ソフィア・コッポラ(Sofia Coppola)の1999年の初監督映画「ヴァージン・スーサイズ」のダンスシーンで効果的に使用された。(Billboard POP Single、1976年、最高位14位)。
Telephone Line(テレフォン・ライン)
1976年発売。『A New World Record/オーロラの救世主』収録。全世界で大ヒットしたELOの代名詞的ヒット曲。全米最高位7位(Bliiboard POP Single、1977年)。重厚なオーケストラとコーラスを配した「ELO的POPバラッド」の代表作。
Mr. Blue Sky(ミスター・ブルー・スカイ)
1977年発表。『Out of the Blue』収録。「雨の日のコンチェルト」の最後を飾る曲で、雨がやんだ後の青空への喜びを表すかのような内容となっており、テンポのよく元気あふれるピアノやベースラインが特徴。
Shine A Little Love(シャイン・ラブ)
1979年発売。『Discovery』収録。ELO流Disco Musicの代表作。(Billboard POP Single、1979年、最高位8位)。
Don't Bring Me Down(ドント・ブリング・ミー・ダウン)
1979年発表。『Discovery』収録。シングルは全米チャート4位を獲得(Billboard top 100)。これまでのELOと区別をつけるという点で重要な曲となった。メンバー全員が参加して「せーの!」で弾いたラフかつ重厚なピアノ・リフが特徴。
Confusion(コンフュージョン)
1979年発表。『Discovery』収録。Billboard POP Single最高位37位。
Xanadu(ザナドゥ)
オリビア・ニュートン=ジョンとのコラボレーション。映画「ザナドゥ」の主題歌で全米最高位8位(同名のサウンドトラック・アルバムはBillboard Pop Albumsで最高位4位、CashBoxで1位)。ただし、映画自体は出来はまったくであり、監督がゴールデンラズベリー賞を受賞した。オリビア・ニュートン=ジョンのベストアルバムにもたびたび収録されており、彼女の代表作の一つでもある。キャメロン・ディアス出演のソフトバンク2007年夏、2008年春のCM曲としてTVでもおなじみ[8]。ジェフ・リン自身が歌ったセルフカバー・バージョンもある(2000年の『Flashback』に収録)。
Twilight(トワイライト)
1981年発表。『Time』収録。CX系ドラマ『電車男』オープニングテーマ、DAICON4オープニングアニメ、トヨタ「セリカ・ダブルエックス」CF曲、Lばんスーパーニュース初代オープニングテーマの原曲などと、日本におけるタイアップが多い。DAICON4オープニングアニメのメイキングビデオのBGMには「Hold on Tight(ホールド・オン・タイト)」が使われている。
Calling America(コーリング・アメリカ)
1986年発表。『Balance Of Power』収録。最後の全米TOP40ヒット。全米最高位18位(The Bliiboard Hot100、1986年)。

アルバム・ディスコグラフィー

オリジナル・アルバム

「電灯楽団」らしく、電球を大きくフューチャーしたジャケット・デザイン。
  • 1973 ELO2 - Electric Light Orchestra II  (全英35位・全米62位)
  • 1973 第三世界の曙 - On The Third Day  (全英46位・全米52位)
メンバーの意向に反して、海賊姿のメンバーの写真を大きくあしらったジャケット・デザインで発売された。現在のリマスター版は、元々のジャケット・デザインに変更して発売されている。
映画「オズの魔法使い」の一場面をフューチャーしたジャケット・デザイン。
電気椅子をフューチャーしたジャケット・デザイン。
アルバムタイトル「A New World Record」は、ミュンヘン・オリンピックのテレビ中継の「世界新記録」というテロップから取ったもの。
UFO型宇宙船をあしらったジャケット・デザインは、長岡秀星によるもの。
千夜一夜物語の「アリババと40人の盗賊」をイメージしたジャケット・デザイン。
  • 1980 ザナドゥ - Xanadu  (全英2位・全米4位)
オリビア・ニュートン=ジョン主演の同名映画サントラ盤。片面がELOサイド、もう片面がONJサイドと呼ばれていた(どちらがA面でB面かの設定は、国により異なる)。アルバム・映画と同名の曲はELOサイドに収録。
15年振りの新作。元ビートルズのジョージ・ハリスンリンゴ・スターがゲスト参加。一部にRichard Tandyが参加。

ライヴ・アルバム

  • 1974 The Night The Light Went On (In Long Beach)

ベスト・アルバム

  • 1976 Olé ELO  (全米32位)
  • 1979 グレイテスト・ヒッツ - ELO's Greatest Hits  (全英7位・全米30位)
  • 1990 アフターグロウ - Afterglow
  • 1995 ベスト・オブ・ELO - Strange Magic:The Best of
  • 2000 フラッシュバック - Flashback (Electric Light Orchestra box set)
  • 2003 エッセンシャル・ELO - The Essential Electric Light Orchestra
  • 2005 オール・オーヴァー・ザ・ワールド - All Over The World:The Very Best Of  (全英6位)

ELO Part.2

  • 1991 ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA PART TWO
  • 1994 MOMENT OF TRUTH

The Orchestra

  • 2001 NO REWIND

脚注

  1. ^ ギネスブックに認定されている
  2. ^ 1970年代を通じてELOのライブは、直立不動で楽器を演奏し歌うJeff LynneとKelly Groucuttに対して、ストリングス・メンバーがステージ上を走り回って盛り上げるというもので、ライブにおけるストリングス・メンバーの存在感は極めて重要な位置を占めていた。
  3. ^ ジェフ・リンが「ポップの魔術師」なる称号をレコード雑誌などから得たのは、この頃からである。
  4. ^ 1982年にソロアルバム『Kelly』を発売。同作品には、Jeff Lynneを除くELOの主要メンバーやLouis Clarkが参加している。
  5. ^ 1974年からELOに参加したKelly Groucuttは、当時の契約によりサポートメンバー同然の「週払い」の雇われメンバーとして、レコーディングを含むELOの活動に参加していた。1980年代半ばの訴訟では、再三の契約内容変更依頼(バンドの正式メンバーとしての)に応じなかったバンド及びマネージメントに対して、自身が参加したバンド活動への正式メンバーとしての正当な評価及び報酬や、レコード作品への貢献に対する正当な印税の支払いなどを求めている。結果、バンド及びマネージメント側は敗訴し、Kelly側は判決で正当と認められた報酬を手にしたが、以後Jeff Lynneやマネージメントとの関係は決定的に悪化した。
  6. ^ ジェフの場合、プロデュース作品においてゲストミュージシャンとして自ら演奏や編曲に参加し、サウンドを形成していく独特の手法が特徴である。プロデュースした作品の多くがヒット作となったが、「どれもみんなELOの音がする」とジョージ・ハリソンに言われてしまった(ビートルス・アンソロジー発表より前の発言なので、ジョージの音楽記者向けのジョークあるいはリップサービスであると思われる)。
  7. ^ 当初オリジナルThe Moveの再結成を目ざし、Carl WayneやRoy Woodに声をかけたが断られたため、The Moveの曲を演奏する派生バンドという位置づけになった。メンバーは、BEV BEVAN BANDと同じ。
  8. ^ ソフトバンクのCMで流れていたのは、本物そっくりに演奏されたカバーバージョンである[要出典]
  9. ^ アメリカのレコード会社の担当者がイギリスに電話をしてタイトルを尋ねたが、担当者が不在だったため、「答えが得られなかった」ということで「No Answer」とメモに書き残したら、それに気づいた他の担当者が勘違いをして「No Answer」をタイトルとして処理してしまったという逸話による[要出典]。なお、アメリカをはじめとしてイギリス以外の国では「No Answer」をタイトルにして1年遅れで発売された。なお、CD化に際しては日本などの一部の国は「エレクトリック・ライト・オーケストラ」に直したため、現在では「Electric Light Orchestra」と「No Answer」が混在している。、発売当時のLP版の邦題は「踊るヴァイオリン群とエレクトリック・ロック、そしてボーカルは如何に」というものだった。

関連項目

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